原子力エネルギーを利用するさい、それが軍事利用であれ”平和利用”であれ、そこに起こりうるすべてを管理し、うまく使いこなせると信じるのは、あるいは平気な顔でそう主張するのは、まったく狂気の沙汰といわざるをえない。それはどの陣営の責任者もあまりによく知っている。それにもかかわらず、”大惨事(ガウ)”が起こると、かれらはいつも、これが最後であり、このようなことは二度と起こらないと断言するのだ。それはこれまでもそうだったし、これからもそうありつづけるだろう。
この捨鉢な見ないふりの理由は、経済と金融システムにある。この経済と金融システムは、いつのまにか、真正ガンが形成されるときの特徴をみんなそなえてしまった。つまり、それは生きつづけるために常に成長し増殖しなければならないのだ。
(中略)
この”すばらしい”成長は無から生じるわけではない。そのためのおそろしい費用は、第三世界、すなわち途上国が支払い、地球規模でいえば、ようしゃなく奪われ、破壊される自然が支払うのだ。そして、天然資源でまかないきれなくなると、ますます増えるエネルギー需要は、”反自然的”に満たされなくてはならない。この発展プロセスの行きつくところを思いえがくのに、想像力は、実際多くはいらない。また、それが引き起こす戦慄するような症状をあちらこちら応急手当てしても、それは無駄である。経済システム全体をかえなければならないのだが、それはできない。あるいは、はじめから変えようとしないのだ。
この問題を、見識ある経済人や、陣営を問わず責任ある地位の政治家はすでに見ていると、わたしは確信しているーしかし、かれらはなにも言わない。あえて、このことを公的な場で言おうとはしない。なぜなら、ある政党が、オールタナティブな、すなわち資本主義ではない経済体制を、真剣にその綱領を取り上げるならば、その政党はさまざまな理由から、たちまち勢力を失うだろう。票を入れる支持者さえいなくなるかもしれない。
つまり、われらにあやまりを諭すのは、これから起こる出来事だろうと、わたしは思っている。
※ ※ ※
まちがった方向へ走る船の上では、正しい方向へ歩いてもそれほど進めない。
引用:ミヒャエル・エンデ ,田村 都志夫 訳『エンデのメモ箱』,岩波書店 ,1996,p.287
『エンデのメモ箱』が発刊されたのは1996年。
見えている人には見えていたのですね。

コメントする