2009年7月アーカイブ
仮に、世界が一冊の本だと思ってください。
唯物論とは、いうなれば紙の性質を化学的に調べたり、そこにある文字の数を数えたり、文字間の間隔を正確に計ったりする人間です。さらに製本に使われた糊を調べたり…それはすべて正しいことです。
事実、その本は印刷インキや紙や、表紙からできています。
ただし、それだけが本の本質ではありません。
(中略)
そこにある文字は言葉を意味し、言葉は集まって文章を形成します。
そして文章は、物語り、物語にはそれぞれの意義があります。
(中略)
ですから本が私たちに話しかける言葉を読み取ることを学び、理解することを学ばなくてはいけないと思うのです。
そして、文章から物語を聞き取り、ついにはその物語全体のもつ意義を経験するのです。
これを、私は物事の深い把握と呼びます。
引用:ミヒャエル・エンデ ,河邑 厚徳 ,田村 都志夫 訳 『エンデの文明砂漠 ミヒャエル・エンデと文明論 (アインシュタイン・ロマン6)』,日本放送出版協会 ,1991,p.86
人間は、こころ(精神)と身体(物質)が密接に関わり合って成り立っています。
科学は、これらを分離することで発達してきました。
こころと身体が分離してしまったときは、本物の芸術や神話が再統合してくれるのだと思います。
日本の武道も同様でしょう。
2009年7月24日00:58〜2009年7月26日06:48の平均値 0.133μSv/h 雨・晴れ
2009年7月20日00:33〜2009年7月24日00:53の平均値 0.136μSv/h 雨・曇り
少し数値が上がってきています。
2009年7月21日20:13〜20:23の平均が 0.169μSv/hとなっています。
出典:YouTube
映像を見るだけでも感動しました、現場で見れた方々は羨ましいですね。
太陽が欠けていくにしたがって闇が迫り、地平線は360度すべて夕焼けのように赤く染まっていきます。
ダイヤモンドリング、コロナ、プロミネンス...太陽と月が織りなす表情も刻々と変わる中、
夏の空に冬の星座が姿を現したことも幻想的でした。
ふとヘルダーリンの言葉を思い出しました。
「危険が増すと、救いもまた増す」
『天体ショー』という言葉は、あまりにもチープな表現に思えて仕方がありません。
私にとっては感情を揺さぶる壮大なシンフォニーでした。
ただ光だけからなる世界は、ただ暗闇だけからなる世界と同じように、見ることも知覚することもできません。
人間が知覚できる世界とは、光と闇が混ざり合った世界です。私たちが見る色彩も、光と影がある決まった形で混ざることによって生まれるのです。仮に明るく光り輝く世界を想像したとしても、それが想像できるのは、そこに影があるからです。
引用:ミヒャエル・エンデ ,河邑 厚徳 ,田村 都志夫 訳 『エンデの文明砂漠 ミヒャエル・エンデと文明論 (アインシュタイン・ロマン6)』,日本放送出版協会 ,1991,p.164
出典:Total Solar Eclipse Ceduna 2002-YouTube
暗闇が増せば、かすかな光も輝きを増します。
水素文明に光を感じたこと、
暗闇の時代にたとえわずかだったとしても自ら光を発したい、
同じ意志(光)をもった人と協力して新しい未来をつくりたい、
そういった様々な意味を込めて、このブログ『確かな光』が生まれました。
ただし、光と闇を分離した単純な二元論ではなく、全体性(陰陽)を見れるようになりたいと思っています。
このブログのデザイン…タイトルの背景が黒く、文字を白くしたのは、そのためです。
上記は、過去の皆既日食の映像です。
初日の出や御来光を見た時の感覚に近いですが、
それよりももっと強い『新しい時代の幕開け』をイメージしてしまうのは私だけでしょうか?
※今回の皆既日食の映像がアップされたら、ブログを更新したいと思います。
2009年7月16日00:34〜2009年7月20日00:14の平均値 0.132μSv/h 雨・曇り
いままでより少し高い数値ですね。
7/19の夕方、新宿付近で北東の方角に大きな虹が見えました。
デス・スターは巨大な組織でもある。初代デス・スターは乗員100万、第2デス・スターに至っては乗員200万を超える。初代デス・スターは事実上ターキン総督の支配下にあり、皇帝のための、というより「恐怖による支配」というターキン主義を銀河に浸透させるための道具として使用された。
いよいよ明日7/12が都議選の投票日です。
貴方の一票が、ダークサイドから抜け出すためのキッカケとなるかもしれません。
いままでデス・スターと戦って、散っていった人がどれだけいたことか…
まずは第一段階です、未来の為に一票を投じましょう。
出典:YouTube
7月12日(日)に都議会議員選挙があります。
日本の行く末も、あなたの行動で変わるかもしれません。
投票前に目を通しておきましょう。
上記を読んで、あとは自分の意志で行動するだけです。
余計な言葉はいらないでしょう。
当日、私も投票所へ行きます。
2009年7月6日23:06〜2009年7月10日00:06の平均値 0.128μSv/h 晴れ・雨・曇り
確かに、人々は進歩が継続し、ますます幸福になるという気持ちでいるようです。
コマーシャルや現代文明のあらゆる手段によって、そのように言い聞かされてもいます。
人々は、本当はますます貧しくなる一方であって、内なるものは空になり、最後には自分たちの内なる世界の荒廃(砂漠化)を進めていることにまるで気づいていません。
引用:ミヒャエル・エンデ ,河邑 厚徳 ,田村 都志夫 訳 『エンデの文明砂漠 ミヒャエル・エンデと文明論 (アインシュタイン・ロマン6)』,日本放送出版協会 ,1991,p.52
エンデは、「ある中央ヨーロッパ先住民の思い」というエッセイの冒頭で、G・ビューヒナー「ヴォイツェック」をとりあげています。
むかしむかし、あるところに哀れな子供がいました。おとうさんもおかあさんもなく、みんな死に絶え、この世界にはもうだれもいません。みんな死んだので、この子供は出かけて行き、昼も夜も捜しました。この地上にはもう一人たりともいないので、天に行こうと思いました。月はこの子をやさしく見つめていました。やっとの思いで月に着いてみると、それは腐った板切れでした。それで太陽に行きました。太陽についてみると、それは枯れたヒマワリでした。それで、星に着いてみると、星は小さな金色の蚊でした。百舌(もず)が麟木に刺すように、ピンで刺されて、いました。再び地球に帰りたいと思ったときには、地球はひっくり返った壷になっていました。それで、この子供はまったく一人ぼっちになってしまい、そこに座りこむと、泣き出しました。今もまだそこに座ったまま、まるで一人ぼっちなのです。
G・ビューヒナー「ヴォイツェック」より
ヤノベケンジのアトムスーツプロジェクトで、チェルノブイリ原発事故後にゴーストタウンとなった街の写真をみることができます。
廃墟になった遊園地、保育園を見たとき、私は「文明砂漠そのものじゃないか」と思いました。
こんな世界で生きていくのは、子供に限らず、大人にとっても厳しい。
そういう思想体系に生きているのですから、『こころの砂漠化』と『環境の砂漠化』が起こるのも不思議ではありません。
それが炭素文明や工業化社会の裏の顔であり、いきつくところは人間のロボット化です。
出典:YouTube
砂漠の緑化に興味がある方は、水素文明を調べてみて下さい。
きっと何かを感じるハズです。
2009年7月1日23:40〜2009年7月4日23:20の平均値 0.130μSv/h 晴れ・雨
私は、物質主義や唯物論自身がその思想全体に、死の萌芽をもっていると思うのです。
なぜなら、それは途中で立ち止まっている思考であり、そのため、人間や世界の真の本質を把握し得ないものだからです。
私は事実、ダーウィンの考えの延長から、特にヘッケルが定義した理論よりレーシズム、すなわち人種主義・人種差別が生まれたのだと思っています。
このレーシズムから、生きるに値しない生命(当時はそう呼ばれていたのですが)の撲滅、強制収容所までは、ほんの一歩なのです。
ちょうど同じことが、マルキシズムでも言えます。それは元来人間を解放する教えとして考えられたのですが、そこから出てきたのは人間を奴隷化する国家形態だったわけです。
これらマルクスやフロイトの全システムは、とどのつまり人間を、その物理的性質から説明しようというものです。
これらはいつも功利観念に落ち着くのです。
引用:ミヒャエル・エンデ ,河邑 厚徳 ,田村 都志夫 訳 『エンデの文明砂漠 ミヒャエル・エンデと文明論 (アインシュタイン・ロマン6)』,日本放送出版協会 ,1991,p.78
人間をモノ扱いすれば、人間性は無意味となり、
結果として、人間自身をこの世から排除することにつながります。
命を落としたり、奪われたりするニュースが多いのも、上記の件と無関係ではないでしょう。
人間牧場 という考えがあるそうです。
もし、それが現実であれば、
私たちの『命の火』をどう燃やすのか、あらためて考えなければなりません。
出典:YouTube
ある日、聖フランシスコが庭でニンジンを植えていると、そこへ通りかかった旅人が尋ねました。「フランシスコさま、もし明日世界がなくなるとわかっていたら、おまえさまはどうするかね?」「わたしはこのまま植え続けるでしょう」そうフランシスコは答えました。私がこの話で言おうとしたのは、変革する時期がまだあるのかと思案することはまったくの暇つぶしにすぎないということです。私たちは、いつ、時が十二時を告げたのか知ることができないのです。それは、二十年後かもしれないし、百年後かもしれません。ただ、私たちは可能なことを、今ただちにはじめなくてはなりません。引用:ミヒャエル・エンデ ,河邑 厚徳 ,田村 都志夫 訳 『エンデの文明砂漠 ミヒャエル・エンデと文明論 (アインシュタイン・ロマン6)』,日本放送出版協会 ,1991,p.26

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